株式会社太陽企画販売 Taihann福岡中央高校剣道部OB会_TOP
福岡中央高校100年誌に掲載する為に、平成9年度剣道部顧問の佐藤恒希先生にお書き頂いた文献です。

福岡中央高校剣道部は、昭和47年剣道同好会として発足、昭和54年、剣道部へ昇格し現在へと至っている。
福岡中央高校創立100周年の今年は剣道部創部25周年にあたる。 (今年平成16年は、創部31周年となる)

1. 創部当時
 昭和47年に男子6名、女子8名、計14名の剣道同好会(顧問:平島貴義先生)として発足した剣道部は、当時剣道場もなく、第2グラウンド(現在のテニスコート及び駐車場)にて野外での稽古を始めた。稽古前にグランド整備をしながらの活動であった。

 このような状態が昭和50年まで続き、昭和51年、体操場と合併教室の2ヶ所に稽古場を移し室内での稽古ができるようになった。しかし、当時の体操場は床がコンクリートでできており、加えて卓球部と共有していた為、狭い場所で充分な稽古ができない状態であった。

なお本校金井昌平教諭(現在は本校の教頭先生)は、創立時のメンバーの一人である。

PL戦 2. 昭和50年代
 顧問に嶌末秀一先生と西田寛先生を迎え、着実に力をつけた剣道部は、昭和59年玉竜旗2回戦において、大将金子真由美選手が4人抜き、さらに昭和58年車田多美子選手がインターハイ地区予選で個人優勝し、女子団体とそろって初の県大会に出場する。県大会においても女子個人ベスト8、女子団体ベスト8と女子としては剣道部の歴史史上最高の成績を残した。

 また男子も部員5人で臨んだ玉竜旗において、副将岡秀樹選手が2回戦で4人抜き、3回戦では前年度優勝校でその年のインターハイ個人チャンピオンとなる若井選手を擁するPL学園高校(大阪府)に当時1年生岡崎俊哉選手(現OB会副会長)が3人抜きの活躍を見せた。しかし当時若井選手と並び関西の強豪であった副将石井選手にまさかに5人抜きを許し、敗退してしまった。

 これは余談であるが、次鋒の宮藤泰樹選手(当時1年生)は、岡崎選手が相手副将と対戦している時、翌日の新聞に「福岡中央高校1年生コンビ、前年度優勝校PL学園を破る!」という見出しを考えており、監督であった嶌末先生も試合後のインタビューに何と答えるか考えていたという。(捕らぬ狸の皮算用であった)

 またこの頃の剣道部の様子は、昭和57年トレーニング用のジャージが登場した。翌昭和58年、試合用の胴を購入、部員一同エンジに輝くこの胴に大感激した。また昭和57年より春または夏休みに校内で合宿を行った。朝はマラソン、昼は補習を受け午後から稽古、夕食後また稽古というハードスケジュールであったが、部員一丸となって稽古に取り組んだ。

 このように昭和50年代後半は、剣道部の歴史の中で最も華やかな一時期であった。そしてそこには、剣道場建設中の為講堂で稽古し、「演劇部・吹奏楽部と共同で使用することに夢のような喜びを感じた。」という純粋無垢な部員達がいたのである。

3. 昭和60年〜平成2年まで
 昭和60年には剣道場が建設され、神棚・部室・大太鼓と修行の場にふさわしい道場に一同大感激し、新たな修練を誓ったという。しかしその裏で創部以来、福岡中央高校剣道部は部員不足と戦ってきた歴史があり、昭和60年代は特に部員不足に悩まされてきた。

 特に男子生徒の中には坊主頭を嫌い剣道部を去る者もいた。そして部員の中には実力者がいるものの団体選手5人が揃わず、部員以外の生徒の助力を得て出場するも、惜敗が続く状態であった。稽古も先生とマンツーマンで行うことも多かった。しかしこのような状態でも剣道部を存続させ、精進を続けた生徒がいたからこそ現在の剣道部が存在するのである。

 この時期の昭和62年に嶌末先生が転勤され、代わって高橋正文先生を迎える。団体戦では、昭和61年の九州大会予選ベスト8の他は2・3回戦までは進出するが、その後は苦しい試合が続く。個人戦では昭和63年、行成和治選手の国体予選3位・県大会ベスト8、玉竜旗では山本耕督選手(現OB会常任幹事)が神辺旭高校(広島県)に対し、剣道部以来初の5人抜きを達成するなどの活躍を見せた。当時の部員を高橋先生は「女子の多い学校であったが、1年も経つと他の生徒よりかわいかった」と回想する。

道場改装
4. 平成3年〜現在まで
 時代は昭和から平成に入り、剣道部も平成元年に樽谷泰則先生、平成3年には本田朋弘先生を顧問に迎えた。この時期も部員不足に悩む時代(特に男子生徒)が続くが、平成3年には春日高校との合同稽古、平成4年には熊本の東海大学体育館で2泊3日の稽古、平成6年には城南高校との合同稽古など、積極的に稽古に出向いた。当時男子生徒は3名しかいなかったが、練習試合では3名で5人制の団体戦を繰り返す努力を行った。剣道場での稽古は基本に忠実な剣道を目指し、切り返し・基本打ち・掛かり稽古を中心に稽古した。

 平成8年に本田先生が転勤され、加野毅先生を顧問に迎えた。稽古は引き続き基本を忠実に行い、部員一人ひとりが目標を持って稽古に励んでいた。そして加野先生の転勤に伴い、平成7年から顧問の高地茂二郎先生と平成9年から私が顧問として勤めさせていただいている。(佐藤先生は現在玄洋高校に勤務されています)

 平成9年は部員数22名と例年に比べ良い環境の中で指導することができ、これも本田・加野両先生が良い指導をされてきたおかげと感謝している。

 また、平成9年から「福岡中央高校剣道部OB会」が正式に発足し、初代会長を藤崎剛一氏(昭和51年卒)としてこれまで以上に剣道部員に対する支援をいただけるようになった。OBの諸先輩方には剣道部員の支援もさることながら、社会の良き先輩として後に続く後輩を導いていただきたいと願っている。

5. おわりに
 福岡中央高校創立100周年と比べると、剣道部創部25周年は4分の1にあたり、その歴史は苦難と努力の歴史である。しかし、そこには創部以来若き情熱を燃やした先輩方と歴代顧問の先生方によって剣道部の精神が脈々と受け継がれている。

 平成9年に剣道部創部25周年に向けて剣道部の手拭いをを製作した。書は渡辺昭次郎校長先生(現在はご退職された)にお願いし、文字は福岡中央高校の精神を守るべく福岡高等女学校校歌の中から「不動の姿不断の音」を取り、「不動不断」と書いていただいた。この言葉には、社会の荒波にも動じず、あきらめず、福岡中央高校の剣道場から竹刀の音が鳴りやむことの無いように稽古に精進して欲しいとの願いを込めている。

剣道部の諸君には、剣道部の歴史を創造する為に、益々稽古に励んで欲しいと思う。

稽古
平成9年度剣道部顧問 佐藤恒希